子供の頃から給食に毎日出されてた牛乳は実は有害なんだって説もあったり、ユダは実は裏切り者ではなかったり、信じていた日本を代表する大企業が大昔からおもいっきり不正してたり、今の世の中、もはや何が正しいか、何が有益かなんて、わからなくなってきた気がする。
ま、今じゃなくても結局は情報の取捨選択なんて自分自身が自己責任で判断するしかないわけだけど。
そして当たり前だけどその情報の消化も自分で処理するんだけどさ。



直木賞作家が新聞に書いた文章について大変な批判が寄せられている。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2349351/detail?rd


 全文は「きっこのブログ」さんにあります

  → 「きっこのブログ/猫殺し作家の屁理屈



私も新聞を読んで「なんじゃこら?」。
内容ももちろんだけど、その文章がカンタンに新聞に投げられたことに驚いた。


だって問い掛け?にしては自己解決してるし、意見?にしては勢いが無いし、解決に至ってもない、まとまってもない、100歩譲ってこんな人が居てもいいでしょ?的なつぶやきと見るにしても、全国紙に掲載する文章にしては無責任すぎはしないか?


ある意味、作家としての自殺ですか?みたいな。


言葉って時に鋭利な刃物に、時に柔らかな毛布になる。
そして必ずしも使い手の意のままに受け取られないこともあるから厄介だったりするんだけど、それでも言葉を文章にしてそれを武器に仕事をする人であれば、自在にコントロールできるはずだし、少なくとも自分が紡いだ言葉が世に出てどう受け取られるかは予想するわけでしょう?


今やあなたもあたしも、の国民総ブロガー時代も遠くは無いんじゃないの?くらいだから、誰もがエッセイストの卵、プロとの差が縮まってきている?なんて意見もありそうだけど、そんなわけはなくて、プロとの差は内容、説得力~お尻の拭き方までひとつひとつに大きな差があるはず。


「そんなこと承知で打ち明ける」と冒頭に書いてあるから、書いた以上は意見を受けるんだろうし受けるべきだし。
プロがどう対峙してどうまとめるのか、見たい。






…も、もしかして動物愛護について全国民が考えるべく、この人は問題を投げ掛けたってことなのか?!
だとすれば、それはそれですごいことかも。